【音楽遍歴】テナーサックスあこ編
【それぞれの音楽遍歴について語るリレー】二番手はグッズ担当兼神奈川ナンバーワンビール好きサキソフォーン あこです。
私の音楽遍歴の始まり…それは
「あなたは友達少ないから
吹奏楽部にでも入ったら?」
と言う小学校の担任の一言でした。
…おいまじか!
今考えると結構失礼な一言ですよね…。
でも親もいいと言ってるし、まあ行ってみるか…と見学に行くことになったのは小学校三年生のことでした。
当初の希望はフルート。
…なんか、可愛くて女の子らしいやん?
でも、残念ながら当時の吹奏楽部にはフルートが見るからに有り余ってました…。
聞けば、フルートは人気で、楽器を買ってしまえば問答無用でフルート担当になれるとのことだったので、入部前から買ってしまう子が多いとのこと…。
ウチは兄弟も多かったし、親とも中学まで続けないなら楽器は買わない、という約束だったので、フルートはあっさりと諦め。
なるべく穏便に行きたい私は、
見学の時に案内してくれた先輩に
聞いてみました。
「なんの楽器やりたいって言えばいいですかね?」
「トランペットやりたいって言えばいいよ」
聞けばトランペットが余ってるらしい。
それが私と楽器との超雑な出会いでした。
顧問(超怖い)にそのまま伝えたいところ、トントン拍子に話は進み、トランペット担当に。
そう、今でこそサックス専門だけど、
最初はトランペットだったのですよ。
強豪校と言うわけでもなく、別段上手いプレイヤーというわけでもありませんでしたが。長く付き合っていく友達も出来、練習も演奏もコンクールも楽しかったです。
合奏の楽しさ、舞台袖のなんとも言えないあの高揚感、拍手をもらう快感はこの時に知ったし、今でも音楽を続けている原動力の一部です。なかなか幸せでした。
ただし中学はそうは行きませんでしたーッ!
吹奏楽部という名前ではありましたが、
その実態は地獄のマーチングバンド部だったのだァアアアッ!!
そして何故か全国大会を目指すことになってしまったのですウウウウウウウッ!
三年間、地獄も地獄、理不尽に次ぐ理不尽のオンパレード地獄でしたねー。
勿論全てのマーチングバンド部がこんなんじゃないと思います!
でも当時のウチの練習は、朝は6時から朝練、しかも先輩より早く到着しないといけない(理不尽)
昼休みも練習。昼休みは15分(理不尽)。夜も遅くまで練習。そしてまた次の日も朝練、もちろん土日も練習。夏休みも大会が終わってから一週間ぐらいしかありませんでした。
ちょっとでも先生の気に入らないことがあると全体責任で楽器持ったまま校庭走らされるし…(理不尽)
良い先輩も居ましたが、イジワルな先輩(理不尽)も居ましたし。
マーチングバンド部、って、楽器を吹きながら灼熱の校庭を駆けずり回らないと行けないんですね〜。半分運動部。
曲も難しく、トランペットもハイトーンがバンバンに出てくる曲ばかりで、ハイトーンがそこまで得意で無かった自分は大変でした…。三年間、辞めずにやり遂げることが出来た自分偉すぎる…。
でも、マーチングそのものは今でも結構好きなんですよね。曲とか。演出とか。やっぱり高揚感、ドラマチックさ半端ない。
今でもマーチング映像とか見るとちょっと泣きそうになります。
そんなこんなで、地獄の中学時代を終え、高校に進学する時のことでした。
マーチングバンド部のある、全国レベルの
強豪校に行くか。
フツーーーーーの高校に行くか。
の選択を迫られました。
…私が選んだのは後者でした。
中学で顎を壊していたし、
両足を疲労骨折していた私は、
ぶっちゃけ音楽どうでもよくなってたんですね。高校の三年間、楽器を手にすることはありませんでした…。
そのかわり
高校時代は何をしていたかというと…
同人誌描いてましたァアアア!!!!
そして大学時代。私は引越し荷物の中に三年間一音も出すことのなかったトランペットを入れるのです…(ゴゴゴ…
大学の入学式、沢山貰ったサークル勧誘のチラシ。一枚一枚見ては捨てていくうちに、気になったモノが二枚だけ残りました。
1つは、吹奏楽部。
そして1つは
なんでもあり音楽サークル…!!
なんだそれ…!!
なんでもあり音楽サークル(ホントはそんな名前じゃないけど、わかりやすくするためにここではこう記す)の部室は、軽音楽部と吹奏楽部の間にひっそりとありました…。
どっちにも行けない人たちの溜まり場…!!!
ここが天国のようなところでジャンル、楽器なんでもあり!なんでもオッケー!というサークルだったのです。そのうち半年ぐらいで吹奏楽部には行かなくなり、サークルに入り浸ってました。
自由すぎて音楽楽しすぎ。
ここでゲームミュージックのバンドや
フュージョンのバンドなどやりたい放題させてもらっていました。
バンドTシャツなんかも作ってましたね。
ここで部室にあったアルトサックスとウインドシンセサイザーにも出会い…。
定禅寺ストリートジャズフェスティバルin仙台に2回出場させてもらうなどめちゃくちゃ謳歌させてもらいました。
就職後、単発でユニットなどを組んでまた定禅寺に出てみたり、一般のマーチングバンドに単発で出てみたり、職場でバンドを組んで会社のお祭りに出てみたりなどしていましたが…。
まじめにバンドをやりたくなり、メン募をウロついてました。
アルトサックス、テナーサックスを習い始めたのもこのころ。某S村楽器で習ってました。
2年ほど習っていて、横浜のKAMONEや、サントリーホールなどなかなか立てないステージに立たせてもらったのもいい思い出です。
2012年ごろからT-SQUAREのコピーバンドにウインドシンセサイザーで参加。ライブこそ一回で終わりましたが、毎回毎回なかなかみんなミーティングと称してファミレスから帰らないほどの楽しいバンドでした。
これが2年ぐらい続いて初ライブ突如解散してしまい!私の誕生日の前日のことです!
なんだか悔しくて血眼で探して応募したのがPE'ZとJabberloopのコピーバンド。
本当はT-SQUAREのコピーバンドを探してたんですけど、ドラムもベースも揃ってるなんてなかなかないよ!と相談した友達に言われて応募。
これも楽しかったですね。
練習行くのが毎回楽しくて楽しくて仕方がなかったです。とても上手なメンバーに恵まれ、墨田ジャズ、川崎ジャズ、池袋ジャズ、演劇の劇伴演奏と、めちゃくちゃに良い経験をさせてもらいましたが…私の至らなさゆえに一悶着あって約二年間の活動で解散。
この時に代打で一回手伝ってくれたのが、くま75で一緒にやっているベースのみっちーだったりします。
このバンドの解散後はもう本当にがっくりしていて…。
2ヶ月ぐらいメン募に応募しては縁が無くて撃沈したり、ジャズセッションに突撃してはアドリブ全然できなくて撃沈したり、メカニカル運指トレーニングなどを地下のカラオケで泣きながらやっては出来なくて更に泣く(勝手に精神と時の部屋、と呼んでいた)などの謎のアンダーグラウンドな個人活動を続けていました。
今考えると我ながら何がしたかったんや、と思います(役立ってることもあるけど)
そんな時、仙台でアコースティックユニットのライブさせてもらうことがあったのですね。
その帰りの新幹線の中でメン募をチラ見していて見つけたのが、れーこさんが出していた、くま75のメン募だった…相手も女子だし応募しやすいし、いけるんちゃう?と応募して、今に至ります。
友達が少ないという衝撃の一言で始まった私の音楽遍歴ですけど、おかげさまで沢山の出会いに恵まれてきました。あの担任の一言には今でも感謝してもしきれない。色々あったけど、くま75の仲間にも出会えたわけですし。
これからも音楽に頼りまくっていろんな人に出会っていきたいです。
はい、こんな感じです。